練習日記2007/11/04 21:37

大阪城公園で練習しました。
単式練習から始め、ミット打ちを中心に突き蹴り等の練習をした後、散手練習をして終了。

工夫について2007/11/05 21:45

このブログを見て、『工夫』という単語が多いことにおどろく人もいるかもしれません。

八極拳をはじめ、中国武術では功夫が大事といわれています。しかし、功夫とはなんなのでしょうか?
以前、呉連枝老師が来日された時に功夫とはなにか?と、質問したことがあります。その回答は大体、以下の内容でした。、
武術は功夫がないといけない。功夫には時間が必要だが、練習した時間が長いからといって功夫があるとは限らない。実戦では一胆 二力 三功夫といわれる。功夫は三番目に大事である。功夫が良くなれば胆、力も良くなる。功夫の有無は見れば判る。

当時は狐につままれたような気がして、判ったような判らないような、何とも不思議な感じでした。
現在、多少なりと練習を継続して使えるようになると、呉連枝の伝えたかったことが判ったように思います。


武術を学ぶ場合、先生の言ったことを絶対だと思って練習に励む人がいますが、如何なものか?一所懸命に練習する姿勢は尊いと思いますが、そのことが必ずしも正しいとは思いません。
なぜかというと、先生に教えられたことを忠実に守ることに囚われていては、本当に理解することは出来ないからです。
先生の教えは憶えて忘れる必要があると考えます。

例えば、A君が散手を始めたとします。最初は殴られると痛いし、自分の攻撃はまともに当らず、当たっても涼しい顔で倍替えしされ、苦い思いをします。こんなときに套路や先生の教えは役に立ちません。自分なりに、現物合わせで苦心して、凌いでいくうちに自然と攻撃方法が身に付いてきます。この攻撃方法を大事にして練習し、工夫、発展させていくのです。これは誰の教えでもなく、自分で創造する自分だけのモノです。ここが基本です。
しかし、悲しいかな、A君は必ず、壁にぶつかります。事態を打開出来ず途方に暮れた時、套路や先生の教えを思い出してみると、打開策が見つかる。こんな時、初めて套路や先生の教えは役に立ちます。また、この時初めてA君は套路や先生の教えを理解できるのです。

武術を学ぶということは先人の経験、研究を追体験することであり、自ら経験、研究しないと習得できません。いろいろと回り道しながら知識的な理解と、実際の経験を深め、積み重ねて体得するものなのです。
武術は生きた技であり、時に応じて変化します。なぜなら場所、気候、時間等、条件は変化して、同じ条件はありえないのです。当然、時代によっても変化していきます。想定する相手の行動も時代により変化してくのですから、絶えず対応する為、技法も変化していきます。この変化に対応する為に、理論と、技術を体得する必要があるのです。理論と技術を体得出来ていれば変化は比較的容易なのです。


自分が工夫してよい手を考えだした時、振り返ると以前に学んでいた。と気づいた時、本当に身に付いたことになるのです。

練習日記2007/11/10 22:38

文化センターで練習しました。
基本功から始め、単式(上歩掌、拳、向錘、斜胯、抱肘)の練習後、相対(向錘、肩背靠、抱肘、黒虎提、斜胯、関節技二種)練習を行ないました。

練習日記2007/11/11 18:48

今日は電車が遅れて大変でした。
大阪城公園で曇り空の下、打撃を中心に練習しました。

散手練習では、今回、四方投げの良い入り方を工夫できた。
なんとか今年の目標に近づいてきました。

http://martial-arts.asablo.jp/blog/2007/01/02/1086065

練習日記2007/11/12 23:50

套路(小架、単打、四朗寛)を中心に練習しました。